【初の大学日本一タイトル獲得!】柔道部主将 古賀ひより選手(4年)が全日本学生体重別選手権 57kg級 優勝!

10月2日、柔道の全日本学生体重別選手権(インカレ)57kg級決勝。古賀選手は最後まで、相手の柔道着の袖をつかみ、前に出続けました。左袖釣込腰、そして父・稔彦(としひこ)さん(享年53)が得意としていた一本背負い…。技を警戒する対戦相手の腰を引かせ、2度の反則を誘い、土俵際に追い込みます。そして試合開始2分58秒。消極的な試合姿勢で3度目の指導を受けた相手の反則負けにより、初の大学日本一のタイトルをつかみました。

「常に攻める姿勢が試合の中でできたのと、組手だけで終わらせないで、そこから投げに行くというのができたからこそ、自分の展開・ペースになって、優勝につながったのかなと思います。」と古賀選手はインカレ優勝後の気持ちを語ります。

目次

柔道場が遊び場から、
自分を表現する場所へ

古賀ひより選手
体育学部体育学科4年、創志学園高等学校出身
女子柔道部 主将

1992年のバルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリストで、IPU・環太平洋大学の女子柔道部総監督を務めた父・稔彦さんの長女として、古賀選手は神奈川県川崎市で生まれました。小さい頃は、自宅の1階が畳の敷き詰められた柔道場という環境で育ち、気がつくとその場所は遊び場となり、自分を表現する場所に変わっていました。

古賀選手 柔道は自然と、物心がついた時には始めていました。正確に何歳から柔道を始めたのか?というのは覚えていませんが、おそらく3、4歳のころからかなという感じです。相手を投げられるようになったのがいつごろだったのか、どんな練習をしていたかなどは、ちょっとおぼえていませんね(笑)

現在はIPUの柔道場にて、日々練習を行う古賀選手

今につながる、
本人の思いを尊重する父の教え

父・稔彦さんの指導は、いわゆる〝手取り足取り〟ではありませんでした。古賀選手が「次の相手は、どう懐に入っていったらいいかな?」「どう組んだらいいかな?」と聞くと、父・稔彦さんからは「こうしたらいいんじゃないか」と、その都度シンプルなアドバイスが返ってくる程度だったといいます。

古賀選手 父は本当に誰にでも優しくて、自分も怒られた経験がありませんし、兄二人も私も、柔道を強制されたことがありません。だからこそ、自分自身も兄たちも、柔道を楽しく続けられていると思います。私は入り方や組手を教わることがありましたが、0から10%まで教えてもらって、残りの90%は自分でどうするか考えていました。練習が続いたりして『休みたい』と思ったことはありますが、これまでに柔道を『辞めたい』と思ったことは一度もありません。『嫌々柔道をやっている』のではなく、『自分がやりたくてやっている』という気持ちでやれているのは、父の本人の思いを尊重する教え方が、今につながっているからです。

岡山の地へ移り住み、
ようやくつかんだ日本一のタイトル

古賀選手は、高校時代に神奈川から岡山に移り住みました。父・稔彦さんが指導するIPU・環太平洋大学との合同練習がある系列校の創志学園高校に進学し3年間を過ごしました。しかし、高校時代の最高成績は3年生の時の全国準優勝。小学生、中学生までさかのぼっても、個人戦での日本一にどうしても手が届きませんでした。大学4年生になった直後の5月に行われた全日本強化選手選考会でも57kg級準優勝でしたが、学生生活最後のインカレ(全日本学生体重別選手権)で、ようやく頂点に立ちました。

古賀選手 優勝した時は、もっとうれしくて泣くのかなと思っていましたけれど、『優勝しちゃった』という感じで、あまり実感はありませんでした。矢野(智彦)先生(監督)に「次の大会の講道館杯で優勝するのを目標にするんだぞ」というのを常に言われていて、うれしかったんですけど「これからだ」という思いでした。

学生生活最後のインカレで悲願の優勝を果たした古賀選手

父・稔彦さんへの思いを胸に、
声援を送られる選手を目指して

父・稔彦さんは、鋭く、美しい一本背負いを最大の武器とし、〝平成の三四郎〟と称され、バルセロナ五輪では、大会直前に左ひざの靭帯を損傷しながらも、痛み止めを打って試合のたたみに立ち、金メダルをつかみ取りました。感動を呼び、全国民から愛され、海外の対戦相手からも賞賛される柔道家であり、人格者でもありました。2021年3月に逝去された際には、関係者だけで1000人が葬儀に参列し、53歳の早すぎる死を惜しみました。

古賀選手 父が亡くなってから、自分一人ではここまで来れませんでした。高校、そして大学の監督、仲間や先輩、後輩のがんばる姿があったからこそ、『自分もがんばろう』と思えました。ですから私も強い選手ではなくとも、『がんばっているのを応援したい』と、思ってもらえるような選手になりたいですね。

〝ひよりの柔道〟を確立し、
さらなる挑戦へ

10月末に行われた、今後の強化選手選考の参考となる講道館杯は、初戦で元世界選手権女王の宇高菜絵選手(37=ブイテクノロジー)に指導3回を受けて惜敗しました。それでもようやく手にした〝日本一〟の称号を胸に、卒業後は実業団で腕を磨き、さらなる大舞台での活躍を目指します。IPU女子柔道部の矢野監督は「(古賀)兄弟の中で、父に一番柔道のスタイルが似ていますし、友だちにちょっかいを出したりする仕草なんかは、古賀先生にそっくりです。シニアの上位で互角に戦える力は十分についていますので、これからは〝ひよりの柔道〟を確立していってほしいですね」とエールを送ります。

「〝ひよりの柔道〟を確立していってほしい」とこれからの古賀選手にエールを送る矢野監督

古賀選手 目の前の試合を一つずつ勝っていって、その先のオリンピックや世界柔道につながっていったらいいとは思っています。ただ、先を見るより、楽しくできている今の柔道を続けていきたい気持ちの方が少し強いですね。大学では教員免許も取りましたので、将来は学校や道場で、父の教えを周囲の方に広めたいという希望もあります。柔道を厳しく教える方もいらっしゃるとは思いますが、やはり父のように、「柔道が好き」と思ってもらえるような指導をしていきたいですね。

IPUでの経験を糧に、実業団で腕を磨きさらなる大舞台での活躍を目指す古賀選手

資料請求

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次