環太平洋大サッカー部から〝大逆転Jリーガー・水口飛呂選手〟誕生!

Jリーグも大学も2023年シーズンに入った5月。J2リーグのレノファ山口から、IPU・環太平洋大学のMF水口飛呂選手(4年=大阪・履正社高校出身)の2024年度からの入団内定と、2023年中の特別指定選手登録(大学に籍を置きながら、Jリーグの公式戦に出場できる制度)が発表されました。水口選手は早くも7月29日の千葉戦でリーグ戦初出場。4試合に出場して、チームの勝ち点奪取にも貢献しました。

水口選手 最初の千葉戦は、1万人の中でプレーして、緊張もありましたけれど、まずは『幸せやな』という思いを噛みしめました。4試合で一番印象に残っているのは、3試合目の清水戦です。相手の全ての選手がうますぎて、「うわ、すげえ!」という感じでした。「この中でやっていくんや。俺は」という、ワクワク感が芽生えました。今まで許されていたことでも、この先、サッカーと生きていく上では許されない、という覚悟も生まれました。食生活、睡眠時間など、全ての部分をこだわって行かないと、プロでは通用しないかなと。僕は特別上手い選手でも、天才選手でもないので、人よりも練習して、地道に地道に歩んで行きたいですね

水口選手は、鹿児島県で生まれ、父の転勤で仙台に住んでいた小学3年生の時に、東日本大地震を経験しました。幸い自分も家族も、周囲の友人も、大きな被害を受けた人はいませんでしたが、自宅の電気もガスも水道も止まったため、震災後1ヶ月は暖を取るために自家用車の中で生活しました。そんな水口選手の心の支えはいつも、5歳の時に始めたサッカーでした。

小学6年生で札幌に引っ越すと、技術を見込まれてコンサドーレ札幌U-12に入団。中学生時代も同U-15に在籍しました。しかし公式戦出場の機会は一度もなく、「遠征にも連れて行ってもらえず、チームの全国大会決勝は自宅のテレビで見た記憶があります」(水口選手)と振り返ります。札幌U-18への昇格は叶わず、「強いチームに入って全国大会でアピールしたい」と、大阪・履正社高校に進学。ここでも3年間、トップチームでの出番はありませんでした。「自分は対人プレーが弱い」と、高校1年生の頃から、全体練習後に友人と30分以上、1対1の居残り練習を毎日続けましたが、「手応えが出てきたのが高校3年生の夏ぐらいで、あまりにも遅すぎました」と水口選手。結局、6年間1度も公式戦に出場できず、環太平洋大学に入学しました。

水口選手 『中高で全く試合に出られなかった選手が、プロになれるわけがありませんし、大学では楽しくサッカーをやれればいい』と思っていました。あとは体育の教員免許を取りたくて、この大学を選びました。1年生と2年生の時は、全体(9チーム)で上から2番目の社会人チームに入れてもらいましたが、ケガが多く、時々トップチームに呼ばれても思うようなプレーはできませんでした。3年生でトップチームに昇格させてもらい、経験を積んで、『僕にもプロサッカー選手になるチャンスがあるんじゃないか』と思うようになりました。

大学3年の夏には天皇杯でJ2ヴァンフォーレ甲府と対戦、年末の全日本学生サッカー選手権(インカレ)にも出場しました。そして全国の大学選抜チームや高校日本代表が優勝を争うデンソーカップが、自身の運命を大きく左右しました。当初選出された中国選抜はプレーオフ(予選)で敗れましたが、敗退チームの中で目立った活躍をした20人でチームを組む〝プレーオフ選抜〟のメンバー20人に選出され、本大会への切符を手にしました。そしてプレーオフ選抜のヘッドコーチには、水口と同じボランチのポジションで、幼い時から憧れ続けてきた、元サッカー日本代表の中村憲剛さんがいました。「憲剛さんには『お前は常にボールを受け続けろ。絶対に隠れるな。受けて、展開して、受けてを繰り返し続けて、チームにリズムを作れ』と言われて、その通りプレーしました」(水口選手)。この大会で3試合出場、2アシストの活躍をみせ、レノファ山口の関係者の目に留まりました。

水口選手 デンソーカップで〝水口飛呂を広めないと〟と思って大会には出場しました。これでダメなら、就職活動を始める予定でしたし、とにかく『もうやるしかない」という覚悟で臨みました。対戦相手には、すでにJリーグから内定の出ている同年代のすごい選手もいっぱいいましたが、最後までひるまず、自分のできるプレーを淡々としました。大会の3日後ぐらいに、レノファ山口の関係者から練習参加の誘いをいただき、5月に内定をもらいました。『こんな人生あるんや…』というのが、正直な感想でした。

2024年の年明けにはチームのキャンプに合流し、Jリーガーとしての生活が、本格的にスタートする予定です。

水口選手 自分が主力として試合に出場し続けている時に、1度は〝全国大会優勝〟を経験したいですね。公式戦にも出たことがなかったので、優勝なんて夢でしたが、プロになるからにはいつか、J1リーグか、天皇杯、ルヴァン杯のどれかで、優勝を味わいたいと思っています。 

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