ゴールの守護神から、交通安全の守護神へ!高知県警察内定 サッカー部 阪本龍選手

試合終了のホイッスルがピッチに響くと、涙がとめどなくあふれました。大学日本一を決める全日本大学サッカー選手権(インカレ)1回戦。1−1の同点で迎えた後半44分、相手カウンターからの強いシュートを、183cmの大柄な体を左にめいいっぱい投げ出して1度は防ぎましたが、こぼれ球を押し込まれました。ロスタイム直前のこの失点が相手の決勝点となり、阪本選手の最初で最後のインカレ挑戦は、わずか1試合で幕を閉じました。そして卒業後は、地元・高知県警察で新たなスタートを切ります。

目次

幼少期の憧れだったサッカー選手と白バイ隊員

阪本龍選手
内定先:高知県警察
体育学部体育学科4年、高知高等学校出身
サッカー部 ポジション:ゴールキーパー

小学3年生の時、阪本選手はサッカーを始めました。ブラジルや日本でプロとして活躍したシジマール氏のセービングをテレビのバラエティ番組で見て憧れ、中学3年生の時にフィールド選手からゴールキーパー(GK)に転向。高校3年生の全国高校サッカー選手権高知県予選では、チームを決勝戦まで導きました。そしてサッカー選手として「全国大会出場」を目標とする一方で、小学生の時から憧れの存在がいました。それは、背筋をピンと伸ばしたままオートバイにまたがり、地元の「高知龍馬マラソン」で、ランナーたちを安全に先導する白バイ隊員でした。

阪本選手 警察官などの公務員就職も、サッカーも強い大学はないかなと探して、見つけたのがこの大学でした。でも1年生の時は「GKだけで30人以上もいるし、年功序列だからトップチームで試合に出られない」と、言い訳ばかりしていました。今思えば、まともに練習もしていなかったですね。2年生の時には、サッカー部内の8チーム中、下から2番目まで落とされて『結果を出して見返そう』という気持ちでプレーしましたが、少し無失点に抑えたりすると『自分ならできる』と過信して天狗になり、失点すると「他の選手の動きが悪い」と、矢印を他のチームメイトに向けていました。謙虚さを失い、コーチとも言い合いになったりと、人間性の部分で問題がありました。

チャンスをつかんでトップチーム昇格へ

2年生を終えるころ、試合中のケガや進路変更により、トップチームのGKが不足する事態となりました。当時は相変わらず学内で下から2番目のチームでしたが、GKとしての基礎的なスキルが備わり、体格にも恵まれた阪本選手に、突如白羽の矢が立ちました。清水健太GKコーチは「100人中100人が『なんで阪本が?』と彼のトップチームへ昇格を不思議そうにしていました。「私としても、『1回試合で起用してみよう』というぐらいの軽い気持ちでしたが、実際に出場すると、他のGKと比べても遜色ない安定したプレーを見せてくれました」と阪本選手について語ります。5チーム計約20人のGKをごぼう抜きしてトップチームに帯同するようになるとすぐ、大学のトレーナーに指摘された猫背の矯正など、弱点の解消に努め、出番を待ち続けました。

チャンスをつかんでトップチーム昇格を果たし
プレーする阪本選手

清水コーチ もちろん最初からスタメンではありませんし、GKは通常1試合を任されるので、ファースト、セカンドの選手が同時にケガでもしない限り、3番手まで出番は回ってきません。「トップチームに入っても、試合に出られないなら」とあきらめてしまう選手も多いのですが、阪本はいつも黙々とくさらずにトレーニングをしていましたし、自分が出ていない試合でも、一生懸命にチームメイトを応援していました。私もそんな阪本に「突然パンッと呼ばれた時に、チャンスをつかめるか、つかめないかは、日々の過ごし方次第。だから取り組め!もっとやれ!信じてやれ!」と言い続けました。すると、練習で失敗しても「クッソ、もう1回」って、頑張るような性格に変わってきました。昇格を不思議そうに見ていた後輩たちやフィールドの選手たちも、だんだんと阪本を信頼するようになっていきました。

「チャンスをつかめるか、つかめないかは、日々の過ごし方次第。」と阪本選手にアドバイスを送り続けた清水コーチ

部活動と試験勉強の両立を通して

3年生のシーズンが終わり、2022年の年明けを迎えると、もう一つの夢「白バイ隊」への取り組みが本格的に始まりました。午後5時から約2時間の全体トレーニングを終えると、グラウンドから大学内の自習施設・創志学館に移動。夜10時まで残って公務員受験者のサークル立志会で配布された問題集に向かいました。1、2年生の時には「昼寝をしていた」と語る時間帯も、学習やストレッチにあてるなど、就寝中以外の時間は常に何かをしている状態を保ちました。4年生を迎えてすぐ、前年度からトップチームのスターティングメンバーだった後輩GKがケガで戦列を離れると、公式戦の出番も回ってきました。遠征のバスでも参考書を開き、試合開始のホイッスルが鳴れば、試合に集中する。かつての様子からは、とても想像できない阪本選手の姿がありました。

阪本選手 『昼寝したいな』と思いながら、勉強しました。その時に自分で『変化した』と感じたわけではありませんでしたが、公務員試験対策の先生方に、勉強やサッカー以外の生活習慣や、物事への取り組み方、人間性や生活面をすごく変えてもらったのかな、と思います。「試験の本番が行われる午前中に頭を働かせるためには、しっかりと朝食を食べる習慣をつけることが大事」とアドバイスを受け、試験本番の半年前から、朝はどんなに時間がなくても、何か口に入れるようにしました。以前のように、ダラダラする時間は確実に減りましたね。サッカーの方も、『後輩たちのケガが治ったり、パフォーマンスが上がってきても、自分を越されないように』という危機感を常に持って、ジャンプ力や下半身の動き、シュートストップ、気持ちなど、『後輩たちにないものを磨こう』と心がけました。サッカーは大好きですし、プロなどで続けたい思いもありましたが、そこで自分の考えを曲げるとか、警察以外の道に進む気持ちはありませんでした。

公務員を目指す生徒などが利用する自習室「創志学館」を活用し、見事高知県警察の内定をつかみ取った

幼少期の夢を必ず叶えるために

チームとして3年ぶりに出場した天皇杯は、背番号1を背負い、その後に大会を優勝したJ2ヴァンフォーレ甲府と対戦する機会に恵まれました。総理大臣杯の中国地区予選では、高知県警察の試験と準決勝が重複。試験終了後に敗退の報を聞き、乗用車と新幹線を乗り継いで山口県のチーム宿舎を訪れ、敗戦に泣き崩れた後輩GKの肩を抱き、「お前のせいじゃない。気にするな」と一晩中声をかけ続けました。7月末には、第1希望の地元・高知県警察に合格。進路が落ち着いた後にも、J2岡山の練習に参加するなど貴重な経験を積み、サッカー人生の集大成となるインカレのピッチに、黄色のユニフォーム姿で立ちました。

阪本選手 小さい頃から、父の運転するバイクの後ろに乗るのが大好きで、乗った次の日には必ず学校で自慢していました。その父に「どんなことでも逃げたら負け。1度逃げたら、何度も逃げることになる」と育てられたので、同じGKが30人いても、「あきらめよう」と思ったことは一度もありませんでした。「就職活動があるから」と、サッカーを離れてしまった友人もいますが、森(利治)先生など4人の立志会の先生にも「サッカーもしながら、勉強を続けることに意味があるから、逃げずにやって行きなさい」と言われていましたし、サッカーの練習をしなかったら、生活リズムが崩れてしまう気もしていました。勉強しながら、サッカーして、とにかく充実した毎日でした。警察官になっても、目の前のことから逃げずに、「高知龍馬マラソン」の先導をする夢を必ずかなえます。それがかなったら…次は刑事もしてみたいですね。

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