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岡山のジムから世界の頂点へ 倉敷守安ボクシングジム 体育学科 ユーリ阿久井政悟選手

先輩たちが変化したきっかけや
社会で活躍している様子をご紹介!

2024年1月23日に行われたWBA世界フライ級タイトル戦を制し、悲願のチャンピオンベルトを掴んだ岡山出身のプロボクサー、ユーリ阿久井政悟選手(倉敷守安ボクシングジム)。岡山県のジム所属選手としては初、同県出身としては元WBC世界バンタム級王者・辰吉丈一郎さん以来の世界王座獲得という快挙を成し遂げ、粘り強い試合運びで会場や地元のファンを大いに沸かせました。

IPUの卒業生であり、在学中にプロへの道を切り開いた阿久井選手に、世界王者への挑戦やボクサーとしての歩み、IPUでの大学生活を振り返っていただきながら、岡山から夢を追う後輩たちへ熱いメッセージを送っていただきました。

ユーリ阿久井政悟(ゆーりあくいせいご)

1995年生まれ。岡山県倉敷市出身。倉敷守安ボクシングジム所属。父と叔父の影響で中学2年生からボクシングをはじめる。倉敷翠松高校卒業ではアマとして国体入賞などの好成績を収める。IPUに進学し、在学中の2014年にプロデビュー。2019年に日本フライ級王座獲得し3度防衛、2024年WBA世界フライ級チャンピオン獲得。リングネームの「ユーリ」は、元WBC世界フライ級王者・勇利アルバチャコフに似ていると言われたことから命名

目次

地元岡山のジムからプロボクサーを目指す

阿久井選手は自身初の世界戦となったWBA世界フライ級タイトルマッチに挑戦し、22戦無敗の王者アルテム・ダラキアン(ウクライナ)に3対0で判定勝ちを収め、待望の世界王座を奪取。守りの動きに徹する王者に対して攻めの難しさを感じながらも、序盤から前に出てジワジワとプレッシャーをかけ続け、最後まで堅実に試合を進めました。

阿久井選手「コツコツとパンチを出して、相手の勢いが失速したところにボディージャブで追い込んでいく地道な試合でした。自分の力を出し切る形で、念願のベルトを手にできてホッとしました。僕自身だけではなく、家族やジムの会長、お世話になった方々、みんなで取ったチャンピオンベルトです」

小学3年生から中学1年生まではサッカー少年だった阿久井選手。「倉敷守安ボクシングジム」第1号のプロボクサーだった父と、日本タイトルに挑戦した経験を持つ叔父の影響でボクシングに興味を持ち、小5の時にお年玉でグローブを購入。中学2年生で同ジムの門を叩きました。

阿久井選手「練習を始めて1年ほど経ったころ、15歳以下対象の全国大会に腕試しのつもりで出場しました。トーナメント戦だったんですけど、始めての大きな試合で優勝することができたんです。そこからボクサーとして本気で頑張っていこう、という決心がつきました」

倉敷翠松高校の2・3年時には国体8強に入り、後の世界王者・田中恒成さんとも対戦。たゆまぬ努力で実力を上げ、期待のホープとしてボクシング関係者からスカウトの声がかかるほどの存在でした。

阿久井選手「東京からの誘いもあったんですが、すべて断って地元の岡山でプロになる道を選びました。一番の理由は『倉敷守安ボクシングジム』が好きだから。お世話になった大切な場所で夢を叶えたい、と思ったんです」

倉敷守安ボクシングジム内の様子

幅広い学びと経験を得られた、IPUでの大学生活

高校卒業後は岡山を拠点にボクシングを続け、両親のすすめでIPUの体育学部体育学科に進学。
IPUで過ごした4年間について「とにかく忙しかった」と振り返ります。

阿久井選手「学科の必修科目や、先生が組んでくれたボクシング優先のカリキュラムなどをこなしていました。4限目の授業を終えたら、すぐにバスと電車を乗り継いでジムに直行する毎日でしたね。部活やサークルは経験できなかったけど、友人と学生ホールや食堂で過ごした時間は、楽しい思い出として記憶に残っています」

ちなみに、食堂のお気に入りメニューは「アラカルト定食」。
基本的にはお弁当を持参していたそうですが、安くて栄養バランスの整った学食は「いちアスリートとしてとてもありがたかった」と語ってくれました。

阿久井選手「IPUではスポーツ学を幅広く学ぶことができ、大学生活で得た経験は社会人としても役立っているなと感じました。ジムでは自分で練習メニューを作っていたので、トレーニングの基礎理論や体の構造、筋力アップなどの知識を正しく理解できたのも良かったです。在学時は『TOPGUN』でトレーニングマシンをいくつか使用していましたが、アスリートのための充実した施設や設備は、今でも使ってみたいなと思います」

在学中の1年生でプロデビューを飾り、リングへのさらなる情熱を燃やし続けた大学生活。2年生の時にはライトフライ級全日本新人王、卒業後の2019年には日本フライ級王座を獲得。そして2024年、28歳で世界戦の大舞台に立つ日を迎え、見事チャンピオンになる夢を実現しました。

阿久井選手「どの試合も自分にとっては同じぐらい大事。今やれること、目の前の目標を一つひとつクリアしてきたからこそ、今の自分があると思っています」

地方というハンデを、ボクサーとしての誇りに変える

「今までボクシングを続けてこられたのは、このジムにいたからこそ」と笑顔で話す阿久井選手。
普段のトレーニングは「守安ボクシングジム」で行い、試合前などの実践練習が必要な時は、スパーリングパートナーの豊富な首都圏で練習や調整をしているそうです。

阿久井選手「スパーリングパートナーが少なかったり、経験や設備が足りなかったりといった、地方ならではのネックはもちろんあります。それでも練習や試合の対策はいくらでも工夫して補えますし、中央の試合を見て勉強するなど、現状の中で実力を付けていく手だてはあります。場所や環境だけが問題ではなくて、結局は自分自身。今ある環境の中で自分がどうありたいか、どんな風に努力し結果を出せるのかが一番大事だと思います」

地方を「ハンデ」のままにするのではなく、ボクサーとしての「誇り」に変える。その姿勢は、IPUの在校生や卒業生、地元から夢に挑戦する未来のアスリート、スポーツに励む子どもたちに、勇気と希望を与えます。

阿久井選手「環境のせいにしない人は、どこにいても結果を出せるはず。自分を貫いてコツコツ取り組んでいれば、岡山も夢を追いかけられる場所になります」

次の目標は2024年5月に行われる防衛戦。それをクリアした先には、世界王座統一戦や海外での試合と、さらなる高みを目指している阿久井選手。岡山から頂点に立った栄光を誇りに、その先にある夢に向かってこれからも挑戦を続けていきます。

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